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そのままに純に生きよ

仏は常に働きかけてくれています。


仏には勤務時間もなければ、休暇もありません。


わたしたちが勤務中に時計を見るようになったとき、わたしたちの生活は少し仏から離れて来た証拠です。


梅の樹は梅の花を咲かすために、一分間も休みなく生命の営みを続けているのであり、桜の生命は桜の花を咲かせるために、一秒間も休みなく生命の営みをつづけているのです。


そしてその生命の営みは決して金銭のためでもなく、何らかの報酬を期待するのでもなく、どんな人里離れた山奥の岩の蔭にでも咲いているのです。


そしてその咲くことが仏のみ心であり、天分であるがゆえにそれが喜びであるのです。


ただ、そのまま営むということ、それがありのままの生き方であり、真言密教の真理そのままの生き方であり、純粋の生き方です。そこには一切の悩みなく、病いなく、憂いなく、そのままであり、それが本当のあなたなのです。



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