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仏の国 密厳浄土を地上に実現するには

  • 執筆者の写真: 本間 啓庸
    本間 啓庸
  • 2020年3月12日
  • 読了時間: 1分

「祈り」又は「阿字観」と云う修行は自分の「意識の王国」の人民(即ち「想念」)たちを一定目的の方向へ集中的に動員することです。


 そして其の動員は内部の「仏性」を揺り憾かして、内部にある「仏の国」(密厳浄土)を現実化することになるのです。


 いくら「意識の国」の人民が多くとも各自別方向に動いているような事では何等現実的な力をあらわす事は出来ないのです。


「内にある力」が「宇宙に満つる力」と波長が合うためには是非とも一定の時間に自分の心の方向を仏の方へ振向け、仏の慈悲の波長、生命の波長、智慧の波長、豊かさの波長、平和と調和の波長に「波長を合わす」ことが必要です。


 多勢集って祈ることはそれだけ信仰の力によって感情の共鳴を来し如来の波長に合い易い状態になります。




 
 
 

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