仏の既に与えておられる無限の供給から、わたしたちは、自分の信じる通りのものを引出すのです。
仏がある人には与えて、他の人には与えないというようなエコヒイキをせられるのではないのです。
仏は「求むるに先立ちて既に与え給うていられる」のです。
それは例えば、放送局の放送の波の様なものです。
聴取しようが聴取しまいが、既に放送局からは求むるに先立って放送していてくれるのです。
しかし、その放送を現実に受取るか、受取らないかは、こちらがスイッチを入れて波長を合わすかどうかによって定まるのです。
スイッチを入れるとは「電源」即ち供給の本源と交通することで、「祈願」に当るのです。
「波長」を合わすということは、一心に祈り供養することに当たります。

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