top of page

参列修行のすすめ

  • 執筆者の写真: 本間 啓庸
    本間 啓庸
  • 2019年5月14日
  • 読了時間: 2分

参列修行の理想


仏教というとても良い教えがあっても、どのようにして実践したらいいかわからない。

仏教書を読んで哲学や思想として蓄えても身になっているとは思えない。

修養として心掛けても何か小さくまとまってしまっているようで不安。

そんな人におすすめいたします。

それが参列修行です。

何だ、儀式に参列すればいいのか。

そうです。ただ参列するだけで良いのです。

日常生活から一時的に脱出し、儀礼に参列することはとても大切なことなのです。

山で修行するわけでもなく。万巻の書を諳んじるわけでもない。

寺の儀礼に参列するのです。

ただし、普段から祈りが凝らされている寺でなければダメです。


注意しなければいかないのは、これまでの祈りは、お寺だのみ、教会だのみ、他者だのみの浅はかな祈りではないかということ。

堂内で参列していてもこれでは身になりません。

これからの参列は、ただただ自己のなかにある仏に耳を研ぎ澄ます、自己の祈りであるのでなくてはなりません。


それならば自分の家でできるじゃないか。

そう思うことでしょう。

違います。

本当に毎日祈りを凝らしている寺で行われる参列修行は違います。

一度、ご参列ください。


玉泉寺では毎朝5時、毎月28日9時、護摩修行を行っています。

自分では浄化しきれない日々の心の垢を、月々の業を、不動明王の御宝前における参列修行が昇華いたします。

無料です。お布施の心配はいりません。勧誘もありません。

求めがあれば法話をいたします。

ひたすら心のお浄めに専念してください。

修行中の出入り自由です。

外からの参拝でも構いません。

どうぞお立ち寄りください。

ご自身の修行として。


 
 
 

最新記事

すべて表示
救いの原理は一つ、仏性の自覚である

奇哉の奇 絶中の絶なるは それただ自心の仏か『秘密曼荼羅十住心論』 もっとも不可思議なものは、私の心にある仏である。  人が本当の自分の尊さに気づくために、必ずしも経典を学ばなければならないわけではありません。仏教は、すべての人の中に「仏性(ぶっしょう)」が具わってい...

 
 
 
人生は料理屋の如し 〜願いを立て、祈り、精進するということ〜

人生とは、大きな料理屋に足を踏み入れるようなものです。 そこには贅を尽くしたご馳走から、質素な一皿まで、あらゆる料理が揃っています。けれども、私たちが席に着くだけでは、料理は運ばれてきません。注文をしなければ、何も始まらないのです。...

 
 
 
精進波羅蜜と「時を待つ」智慧

「ローマは一日にして成らず」「待てば海路の日和あり」とは、いずれも時間のもつ力と、継続の大切さを教える言葉です。しかし、仏教ではそれを単なる「待つこと」とは見ません。そこに働いているのが「精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)」の実践です。...

 
 
 

コメント


  • Instagram
  • Facebook

どんなことでもお気軽にお問い合わせください

042-676-8050

Copyright(c)GYOKUSENJI.All Rights Reserved.

bottom of page