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幸福の国を見るには

  • 執筆者の写真: 本間 啓庸
    本間 啓庸
  • 2020年3月15日
  • 読了時間: 1分

「人あらたに生れずば、神の国を見ること能わず」とイエスは言いましたが、人間が「神の国」即ち「幸福の国」に入るためには「新たに生れる」ことが必要なのです。


「新たに生れる」とは肉体が母親の胎内に入って再び出直して来る事ではなく、自分自身を内的に変化させて魂の根っこから生れかわることです。


自我の想念が完全に新しくなることです。考え方がスッカリ新たになる事です。


密教では「出生」といい、自心の中で新たに菩薩が生まれ出ることをあらわします。


肉体と云う皮袋が新しくなっても、自分の心の想いが新しくならなければ幸福生活を送ることは出来ません。


わたしたちが不幸に感じたり、淋しくてやるせなく感じたりするのは、自分自身が神仏の波長から勝手にハミ出している証拠です。謂わば迷い児になっているに過ぎないのです。





 
 
 

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