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弘法大師 空海 お大師さまのご生涯



■誕生

 お大師さまは、讃岐の国 屛風ヶ浦(香川県善通寺市)にお生まれになりました。父 佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母 玉依御膳(たまよりごぜん)のご三男で、幼名を真魚(まお)と名付けられました。(宝亀5年6月15日、西暦774年)


■学問

 12歳より当代一の学者、叔父の阿刀大足(あとのおおたり)から漢学等の教えを受けられました。やがて15歳で上京し、のちに大学に進まれました。


■修行

 大学では、官吏養成の学科を修められましたが、これに満足を得られなかったお大師さまは、仏教に深い関心を寄せられ、四国や大和の各地での厳しい修行生活にはいられました。この頃(19歳)、ある修行者から真言の秘法「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を授かりました。


■得度

 槙尾山(まきのおさん)で勤操大徳(ごんぞうだいとく)に従って得度(とくど)を受け、出家されました。やがて名を空海と改め(20歳)、より一層仏教の研鑽と修行に励まれました。


■三教指帰

『三教指帰(さんごうしいき)』三巻は、お大師さまの最初の著作です(24歳)。その後、『大日経(だいにちきょう)』を発見され、密教を究めるために、唐の国に渡ることを発願されます。


■入唐

 遣唐使の船で唐へ渡られ、長安の都で青龍寺(しょうりゅうじ)の恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)に逢われました。阿闍梨はお大師さまこそ、真に密教の器であると大変喜ばれ、その弟子千人の中からお大師さまを選び、真言の大法を悉く授けられました。この時「遍照金剛(へんじょうこんごう)」の名を賜りました(32歳)。


■帰朝

 三年間の留学で、目的を達したお大師さまは、多くの経典や密教の道具を携えて、ご帰朝されました(33歳)。


■いろは歌

 いろは47文字を作って、真如親王に奉りました(36歳)。


■鎮護国家

 中央政府の権力闘争等の社会不安を憂い、高雄山寺(たかおさんじ)で鎮護国家のご修法を行われました。また、この年朝廷より東大寺の別当に任命されました(37歳)。


■高雄灌頂

 仏の後継者となる儀式、灌頂(かんじょう)を高雄山寺で開かれました。この時、伝教大師や奈良の高僧達も、お大師さまから灌頂を受けられました(39歳)。


■四国霊場

 弘仁6年より四国八十八ヶ所の霊場を開かれました(42歳)。


■高野山

 朝廷より高野山を賜り、ここを禅定(ぜんじょう)の地と定め、大伽藍の建立に着手されました(43歳)。


■満濃池

 讃岐の満濃池(まんのういけ)は、日本一の灌漑用水池お大師さまは勅命により、その堤防工事の総監督として赴かれました。お大師さまの優れた指導力と、お大師さまを父母の如く慕う人びとの力が一丸となり、わずか三か月で、この大工事が完成しました(48歳)。


■東寺

 嵯峨天皇から東寺(とうじ)を賜ったお大師さまは早速七堂伽藍を建立し、ここを真言密教の根本道場と定められました(50歳)。また、鎮守(ちんじゅ)として伏見稲荷(ふしみいなり)と若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)を建立されました。


■庶民教育

 東寺の東に、日本で初めての庶民学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設されました(55歳)。


■十住心論

 お大師さまご生涯の総決算ともいえる『十住心論』十巻を著わされました。この書は人間の精神活動の向上を説いたもので、世の中の哲学も宗教も全て網羅されています(57歳)。


■万灯会

 高野山で万灯会(まんどうえ)が行われました。これは一万個の灯明を灯して、罪障を懺悔する法会です(59歳)。


■御修法

 宮中の真言院に於いて、お大師さま念願の御七日御修法(ごしちにちみしほ)が奉修されました(62歳)。


■入定

 この年三月、お大師さまは高野山で静かにご入定されました(承和2年3月21日、西暦835年)。


■大師諡号

 ご入定より86年後、醍醐天皇から「弘法大師」と諡(おく)り号を賜りました。それより「お大師さま」「弘法さま」と崇められ、今尚多くの人びとの根強い信仰を集めておられます。


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