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解決しない問題は一つもない

  • 執筆者の写真: 本間 啓庸
    本間 啓庸
  • 2024年8月16日
  • 読了時間: 1分

 わ


毘盧遮那をすなわち大我と名づく 我はすなわち大自在の義なり『大日経開題』

毘盧遮那を大いなる我と名づける。大我には自由自在の偉大なる力がある。



わたしたちに現在与えられていることは悉く、わたしたちの現在の魂の状態にとって、すべて教育的なものばかりなのです。


その仕事を為すことにおいて、その環境に処することにおいて、全力をつくし、全生命をかけ、全精神をつくしてそれと取組むことによってわたしたちは魂が向上するのです。


わたしたちに与えられている問題は必ず解決し得るからこそ、わたしたちに其の問題が与えられているのです。


仏はわたしたちを難問題で苦しめて、「好い気味だ」などと笑っていられることはないのです。


仏はわたしたちを苦しめるために問題を課するのではなく、わたしたちに内在する能力を呼び出すために問題を課するのです。


何か問題がおこるならば、それはあなたの魂の向上のために課せられたのです。


今こそすべての魂に宿っている融通無碍な無限の発想力をもって進むのです。この受け止め方、生き方こそ、最上の道なのです。


坂村真民

「花には散ったあとの悲しみはない。ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ」

「わが生よ 一輪の花のごとく 一心であれ」

 
 
 

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