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慧日は体つねに明なり ただ浮雲の障るに為る『五部陀羅尼問答偈讃宗秘論』

 

智慧の光は常に輝いている。障害となるのは浮き雲が遮るためである。



心暗きときは遭う所ことごとく禍いなり 眼明らかなれば途に触れてみな宝なり『性霊集巻第八 招提寺噠嚫文』


心が暗いときは、見聞すべてが災いになってしまう。しかし、心が明るければ、することなすことが順調に運ばれ、すべてが宝ものになる。



ぶつぶつ小言を言ってはいけません。


小言や不平の心は立ちのぼる煙のようなものです。


小言や不平を立のぼらせばあなたの周囲は煙るばかりです。


自分の心に描く煙を見て、この世界は何という鬱陶しい世界なんだなどと言って小言を言うのは愚かなことです。


小言をやめ不平をやめ、ちょっとでも有りがたいところがあれば、そこに感謝するようにすれば、不平の煙の代りに、感謝の光がこの世界に立ち初めて来て、それが次第にひろがり周囲全体が光輝くようになって来るのです。


今あなたのいる世界の光景は、あなたの今の心境にとって最も適当な環境なのです。


現在の環境を好まなければ逃げ出しても仕方がないのです。


心を変えればよいのです。




更新日:2月17日

如来の實智も多くの功徳を具す 久しく無明煩悩の地の中に埋むれどもかつて朽爛せず 無間瞋恚の火に入れども消えず融けず 下劣の凡夫は億劫にも見難く もし能く得証すれば三界の王となる『金剛頂経開題』


如来の智慧は多くの功徳を備え、無明煩悩の中にあっても朽ちることがなく、怒りの炎に焼かれても融けることがない。劣った凡夫はとうてい見ることはできないが、もし悟ることができればこの世の王になれる。



どんなことがあっても人を呪ってはなりません。


人を呪えば自分が傷つく事になるのです。


第二に自分の血液の中に毒素が生まれます。


こちらが悪意を相手に抱けば、相手はその心を感じて益々こちらに対して反感を起してこちらにとって都合の悪いことを始めるのです。


人を憎んでいる間は精神が不快なことに縛られているから、心が自由自在に働かないか

ら計画に失敗することにもなるのです。


呪い怒りの感情を起すと、血液の成分や血液の循環状態に不調を来して健康状態にも害があることにもなります。


大体わたしたちは相手の人の立場や本当の気持になってあげることは難かしいのであるから、相手の本当がつかめません。


相手の本当がつかめない自分に他を呪う資格はないのです。


ただし真言密教には呪詛の方法があります。


以上を承知の上で行うことになるのです。



一切の無明煩悩 大空三昧に入りぬれば すなわち都て所有なく 一切の塵垢即ち財となる『梵網経開題』


無明や煩悩は、執われのない空から見れば、すべてに所有がなくなり、汚れがそのまま財宝となる。



心配することはありません。過去はもう既に過ぎ去ったのであるから「持越苦労」をする必要はないのです。


未来はまだ来ないのであるから「取越苦労」をする必要もないのです。


心配は心に「不幸」を描くことであるから、心配すればするほど「不幸」が現象界にあらわれて来る原因をつくることになるのです。


「今」を完全に生きれば、その人に不幸はないのです。


その人は他の人がいたずらに過去を嘆いている間に一歩を前進し、いたずらに未来を心配

している間に二歩を前進するからです。


そして心が明朗であれば良き智慧が湧いて来るから事業に躓きがなくなるし、心が明朗であれば血液が浄まって抗病力が強いから病気に強いのです。




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