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救いの原理は一つ、仏性の自覚である

  • 執筆者の写真: 本間 啓庸
    本間 啓庸
  • 7 日前
  • 読了時間: 2分

奇哉の奇 絶中の絶なるは それただ自心の仏か『秘密曼荼羅十住心論』


もっとも不可思議なものは、私の心にある仏である。



 人が本当の自分の尊さに気づくために、必ずしも経典を学ばなければならないわけではありません。仏教は、すべての人の中に「仏性(ぶっしょう)」が具わっていると説きます。仏性とは、誰もが本来仏であるという尊い本質です。その仏性に目覚めること――それこそが、真の「救い」なのです。


 けれども、時代や文化、国柄によって、人々の理解のしかたや求める表現は異なります。そのため、仏さまは様々な教えを「方便(ほうべん)」として説かれました。方便とは、人々を真理へと導くために、相手に合わせて用意された“仮の道”です。


 真理はひとつであっても、その伝わり方は千差万別です。それはちょうど、ひとつの音楽を様々なスピーカーで聴くようなもの。スピーカーの性能や状態によって、音色や響きが変わってしまうのです。宗教もまた、語られる言葉や形が違うだけで、その根底に流れる真理は同じなのです。


 仏教は、そうした「違い」の奥にある「一つ」に目を向けよと説きます。それは「すべての人が仏である」という気づき――仏性の自覚にほかなりません。私たちがその本質に目覚めたとき、宗派や宗教の違いにとらわれず、いのちの尊さをともに讃える道がひらかれてくるのです。

 
 
 

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