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精進波羅蜜と「時を待つ」智慧

  • 執筆者の写真: 本間 啓庸
    本間 啓庸
  • 5月17日
  • 読了時間: 2分

「ローマは一日にして成らず」「待てば海路の日和あり」とは、いずれも時間のもつ力と、継続の大切さを教える言葉です。しかし、仏教ではそれを単なる「待つこと」とは見ません。そこに働いているのが「精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)」の実践です。


精進とは、怠ることなく善を修め、悪を離れんと努力すること。つまり、単なる努力ではなく、仏道にかなった正しい方向へ向かう不断の努めを意味します。


嵐の海を前に、無理に船を出せば難破するばかりです。しかし、だからといって浜辺で手をこまねいていては、凪の日に船出することもできません。海が荒れているその間にも、船を整え、帆を繕い、羅針盤を調えておく。これが精進の心です。


たとえば、魚を釣るときも同じこと。暴れる魚に無理に力をかければ糸は切れます。魚の勢いが収まるのを待ち、疲れを見てから、確実に釣り上げる。そこには忍耐と観察、そして準備があります。


毛虫が蛹となり、一見動きもなく眠っているかのように見えるときでさえ、内には蝶となる準備が進んでいます。それと同じく、わたしたちもまた、たとえ外からは何も変わらぬように見えても、日々仏道を忘れず、怠ることなく歩む必要があります。


「精進波羅蜜」は、「今はまだ時ではない」として休むことではなく、「時が来たならば必ず実を結ぶように、今この時にも最善を尽くす」ことを教えます。


偉業は一朝一夕には成りません。しかし、今日という一日に誠実を尽くし、怠らず歩む者にだけ、その果実はもたらされるのです。

 
 
 

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