どんな高価な宝石でも、それを高価な宝石だと自覚することなしに、それを硝子の玩具の珠だと思っているならば、それは真にまだ「高価な宝石」を持ってはいないのです。
真にそれが「高価な宝石」であると認めた者のみが、その高価な宝石を所有し得たのです。
ここに実際に、現実に「浄土」があっても、それを「稜土」であると見ている者があるならば、その人はダイヤモンドを硝子の一片だと思っているようなものです。
真に所有するということは、そのものの価値を知るということです。
「知る」ということは「所有する」ということです。
み仏の価値を知る者のみ、本当の意味に於てみ仏を所有するのです。
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